
Coshaerは奈良県にある靴工場が次世代へ靴作り繋ぐために新いチャレンジとしてスタートしたブランドです。
私たちの工場は、多くの歴史の残る奈良県大和郡山市のにあります。
周辺には聖徳太子が祀られている法隆寺や多くの歴史的建築物があり、長い歴史の中で人々の生活の営みの中心地となった場所です。私たちはこの場所で日々、靴を作っています。


静かな奈良盆地に、遠い昔から職人達の営みがありました。
この地には木綿を織り、足袋を縫う。町人の暮らしを支えるために黙々と手を動かす、そんな日常がありました。
田畑の仕事が落ち着く冬のあいだ、
人々は家の中でミシンに向かい、針を動かし、糸を結ぶ。小さな作業が、やがて確かな技へと変わっていきました。商都・大阪の近くにありながら、派手さはありません。
誠実で、ていねいで、信頼される手仕事。一足の履物に、ひと針の誠実を。そんな想いが、この土地には、ずっと根づいています。
静かに、確かに、ものをつくる。
今日の奈良の靴作りにも、この心が宿り続けている気がします。

奈良県大和郡山。
かつてこの地は、郡山城のもとに栄えた城下町でした。武士たちの暮らし、商人の往来、そして町人の手仕事。
時を経ても変わらぬのは、静かに技を磨き、丁寧に日々を重ねるという土地の気質です。城が町を守ったように、町もまた、職人たちの手仕事で支えられてきました。
そして現代。
この町の片隅では、かつての足袋づくりや布製品の文化を受け継ぎながら、
ひと針ずつ、木型をあて、革を裁ち、靴をつくる職人たちがいます。
目立たずとも、しっかりと歩みを支えるもの。
それは、かつての町の精神にも、今の靴作りにも、通じているのかもしれません。
城のある町で生まれた靴。

トローベルシューズは1963年に奈良県大和郡山市で創業しました。
創業者である、寺岡正治はもともとは地場の履物産業の中で、手製履を作る靴職人として靴作りをスタートさせました。
その当時の靴作りは手製靴が主でした。
そして、トローベルシューズの前身である寺岡正商店を冠として靴工場を始めます。
創業から間も無く、高度経済成長に伴い機械化・量産化が加速し靴製造が奈良県大和郡山市の地場産業として根付いていきます。当時は1ヶ月で数千足を生産し、それでも追い付かないほど量産をしていました。
しかし時代が進むにつれ、状況は大きく変わります。
90年代以降、海外からの安価な革靴が大量に輸入されるようになり、国内の靴づくりは急速に縮小していきました。
職人が丁寧に作った靴が、価格だけで高いと言われ店頭に並ぶことはありません。
そんな状況の中で、少しずつ仕事の形を見直しながらも国内での生産にこだわり続け、
“目には見えにくいけれど、履く人には必ず伝わる品質”を守り続けてきました。

そして今。
"さりげない美しさ。抜け感と上品さが共存する足元。"
coshaer(コシャール)は、そんな靴をつくりたくて始めました。
普段着のままでも、どこかに品がにじむ。
気取らず自然体なのに、
"そのままの魅力に、そっと上品さが重なって映る"
そんな“リラックスと美しさのあいだ”を、表現できる靴になればと思っています。

coshaerには、もうひとつの“始める理由”がありました。
私たちは70年以上続く紳士靴メーカー「トローベルシューズ」です。
しかし、日本の景気が落ち込み、コロナ禍で大きな打撃を受ける中、これまでのように丁寧な靴づくりを続けるだけでは、事業として立ち行かなくなってきました。
いくら良い靴をつくっても、「高いから売れない」と言われる。
そんな現実を何度も突きつけられました。
そんな逆境の中、私たちの強みをもう一度見つめ直しました。
靴作りは思っているより多くの材料と工程があります。私たちには多くの材料屋さん、それを靴にしていく職人がいて、技術がある。
改めて、自分達や周りの仲間達の素晴らしさに気づくことができました。そして、この環境を生かし、自分たちの手で、自分たちの価値を直接届けよう。
そう思い、coshaerというファクトリーブランドを立ち上げました。

この靴には、「かっこよさ」を妥協しない美意識と
「ものづくりを次の世代につなぐ」という現実が共存しています。
履いた方が「こんな靴、日本にあったんだ」と驚く。そして、それが日本の職人たちの誇りにつながる。
そんな未来を目指しています。
ただ流行を追うでもなく、
ただ高く売るためのブランドでもない。
日本の工場が、誇りを持ってつくる本当にかっこいい靴。
それが、coshaerの原点です。